スノーピークが好きすぎて仕方がない──そんな人種がいる。彼らは自らを、あるいは周囲からこう呼ばれる。
スノーピーカー。
この言葉の響きは妙に中毒性があって、初めて聞いた人はちょっと笑ってしまいそうになるかもしれないが、笑い飛ばせないほどその沼は深い。
一つだけ、先に告白しておこう。
僕も立派なスノーピーカーだ。
スノーピーク製品で揃えたがる
スノーピーカー最大の特徴、それは
「すべてのキャンプギアをスノーピークで揃えたくなる」
という奇病である。

テント、タープ、テーブル、焚き火台、調理器具、果てはカトラリーの一本に至るまで、Snow Peakで統一したくなる。値札なんぞ、もはや見ていない。数字はただの飾りだ。
確かに、スノーピーク製品は高い。いや、正直、高すぎる。
だが、一度手にすればその理由がわかる。無骨でいて美しいデザイン、所有欲を満たすチタンの質感。さらに永久保証という言葉が、スノーピーカーの心を掴んで離さない。
「キャンプが好きなのか、スノーピークが好きなのか?」
そんな疑問を抱く瞬間もある。
否
スノーピークというブランドが好きで、そのギアに囲まれたキャンプが好きなのだ。
それがスノーピーカーという生き物の本質である。

結局スノーピークの焚き火台
スノーピークのスタッフさんが大好き

スノーピーカーに共通するのが、Snow Peakのスタッフさんへの絶大な信頼と愛情だ。
なぜか。
スタッフさんたちもまた、生粋のスノーピーカーだからだ。例外は存在しない。彼らはスノーピーク愛にあふれ、キャンプの話になると目が輝く。話が止まらない。
そしてこちらも止まらない。共通言語が「キャンプ」と「スノーピーク」というだけで、こんなにも話が弾むものかと感動するほどだ。
「キャンプ場で会いましょう!」
とスタッフさんに誘われたら最後。もはや彼らは店員ではなく、同志である。

スタッフさん詣でという奇行

スノーピーカーには奇妙な習性がある。
年に二度開催される雪峰祭(せっぽうさい)。ここはスノーピーカーたちにとって祭典であり、巡礼である。商品を買うのはもちろんだが、実は
スタッフさんに会いに行くためだけに、複数の店舗を巡る変態スノーピーカーが存在する。
もちろん僕の知り合いにもいる。
「〇〇店の△△さんに挨拶しにいかないと」
という報告がLINEで届くとき、僕は思う。──
あぁ、スノーピーカーはここまでいくのか。
ギアの量、会員ランクで威張る人がいる。
スノーピークには購入金額やキャンプ回数に応じてポイント制度がある。そのポイントに応じた会員ランクも同時に発生している。
以下の画像のような会員ランクだ。

以上の画像以外にも非公開ランクも存在している。
アース会員(10,000,000LVpt〜20,000,000LVpt)
アスタリスク会員(20,000,000LVpt〜)
僕はまだ下の方だが、いろいろな人に出会ってきた感覚として、
アース会員やアスタリスク会員の人たちは、穏やかで優しい。
彼らは心からスノーピークを愛し、静かにギアを楽しんでいる印象だ。むしろ彼らがスノーピークというブランドの支柱なのではないか、とさえ思う。
一方で、ダイヤモンドやサファイアのあたりになると、ちょっと様子がおかしくなる。
「これ、ダイヤモンドしか買えないギアなんだよね」とか
「君も早くサファイアまでおいでよ」とか。
優雅に焚き火を囲みながら、しれっとマウントを取ってくる。
これを僕は心の中で
いやらしいキャンプ
と呼んでいる。

スノーピーク製品を高いと思わなくなる

恐ろしいことに、スノーピーカーとして生きていると、だんだんと価格に対する感覚が崩壊していく。
もともと十数万円のテントや焚き火台を見慣れているせいで、「1万円のクッカー?安いじゃん!」となる。
いや、安くはない。冷静になれ僕。でも
「永久保証だし、一生使えるし、子どもに受け継げるし…」
と自分に言い聞かせて買ってしまう。これがスノーピーカーの沼である。
そして驚くべきことに、スノーピーカーの中には社長さんやお偉いさんがゴロゴロいる。そりゃ金銭感覚もバグるわけだ。

無論、他社製のギアを見れば、「やっす…大丈夫か、これ?」
と余計な心配をしてしまう。安いからと言って手を出さないのがスノーピーカーだ。
僕が健全なスノーピーカーでいるために

定員さんともお話ししたスノーピークというブランドは、道具という枠を超えて人生そのものに寄り添うものだと思う。でも、だからこそ忘れてはいけないことがある。
「スノーピークが好きなのはもちろんだが、僕はキャンプが好きなんだ」
これを忘れてしまうと、沼に溺れすぎてしまう。
スタッフさんとも話したいが、拘束しすぎない。
自分のギアを自慢したいが、度を超えない。
僕はこれからも、仲間や家族、彼女にスノーピークの素晴らしさと、キャンプの楽しさを伝えていきたい。
それが僕の目指す、健全なスノーピーカー像だ。
まとめ

スノーピーカーという生き物は、一言で言えば「Snow Peakを愛しすぎた人々」だ。スノーピーク製品で揃えたがり、スタッフさんと語り合い、ギアと会員ランクに一喜一憂し、金銭感覚を崩壊させる。まるで狂気の沙汰のように見えるかもしれないが、その根底には確かな想いがある。
「好きなものに囲まれて過ごす時間こそ、人生の豊かさだ」
という、シンプルかつ熱い情熱だ。
確かに高い買い物かもしれない。けれど、そのギアを使うたびに心が躍り、仲間と焚き火を囲むときの笑顔は、何物にも代えがたい。
スノーピーカーであることは、ちょっとした誇りであり、僕らの人生の一部なのだ。
もしあなたの心に少しでもSnow Peakへの憧れがあるなら、ようこそ。きっと同じ景色が見えるはずだ。
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