「多分この記事を見てくれているということは、何かを“やりすぎて”痛い目を見た人じゃないだろうか。」
──これ、全然他人事じゃない。25歳の僕も、日々「やりすぎ」と「足りない」の間でぐらぐら揺れている。
先日、親友がこう言った。
「何事もやりすぎはよくないぞ」
思わず笑いそうになったけれど、その言葉は妙に耳に残った。
世の中にはたしかに「やりすぎて失敗すること」が山ほどある。今回は、そんな 「何事もやりすぎはよくない」 という格言を、例を交えながら考えてみたい。
わかりやすい例
睡眠のとりすぎ

人間は基本、寝ることが大好きだ。
週末はアラームをかけず、気が済むまで寝る。それだけで「最高の休日!」なんて思うのだけど──実際、10時間以上眠ると、目覚めた瞬間から頭が重い。肩も凝る。全身がだるい。
不思議だ。 「睡眠は健康に良い」 と言われるのに、やりすぎると逆に不調を呼ぶ。やっぱり、 「何事もやりすぎはよくない」 というのは真理なんじゃないかと思う瞬間だ。

仕事のしすぎ
「若いうちに働きまくれ」という人もいる。僕もつい最近まで、残業を美徳だと思っていた。
でも去年、睡眠時間を削って頑張りすぎた結果、精神をやられかけたことがある。病む寸前だ。

「働くこと」は人生の大事な軸だと思う。だけど、 仕事のしすぎ は身も心も削りかねない。
「もっと頑張れ!」なんて自分を追い詰めがちな人にこそ、 「何事もやりすぎはよくない」 と伝えたい。

勉強のしすぎ
「勉強は裏切らない」──誰もが一度は聞いたことがある言葉だ。たしかにそれは真実だと思う。
知識は人生の武器になるし、努力した分だけ自分の自信にもなる。僕自身も資格試験のために必死で机にかじりついた時期があった。朝も夜もひたすら過去問を解き、参考書を読み、目の下にはしっかりクマができた。

あれはちょっとやりすぎだった。
そして何より、勉強ばかりしていると、 遊ぶ時間がごっそり消える。
友達に誘われても、「ごめん、勉強しなきゃ」と断り続けるうちに、気づけば周りとの話題についていけなくなっていたこともあった。人生は勉強だけじゃない。遊びや息抜きも、人生を豊かにする大事な「学び」なのだと思う。
知識を増やすことは素晴らしいけど、 遊ぶ余白すら奪ってしまうという皮肉な結果を招くことがある。

お金のもらいすぎ
社会に出て数年。僕が一番思うのは「お金をもらいすぎるのも、意外と厄介」ということ。

例えば、仕事の報酬が異様に高い案件。最初は「ラッキー!」と思うけれど、後から「じゃあ次も頼むね」と延々と高負荷の仕事が舞い込む。割に合わなくなり、精神をすり減らす人見たことがある。
欲深くなる気持ちはわかる。だけど 「何事もやりすぎはよくない」 のは、お金も例外じゃない。

彼女を愛しすぎる

愛しすぎるのもまた問題だ。僕の友人は、彼女が好きすぎるあまり、1時間ごとにLINEを送っていた。最初は「可愛いな」と思われていたらしいが、徐々に重いと言われ、最終的にフラれた。
恋愛ってさじ加減が難しい。 「好き」という気持ちもやりすぎると、相手の自由を奪う毒になる。
「やりすぎるほど愛してる」はロマンチックに聞こえるけれど、現実はちょっと違うようだ。やっぱり 「何事もやりすぎはよくない」。
写真を撮りすぎる

僕はカメラが趣味で、日々いろんなものを撮りまくっている。だけど、撮りすぎると後で整理が地獄だ。
旅行帰りに6,000枚の写真を前に、ふと思う。
「これ、果たして全部いるか?」
写真もまた、撮りすぎは過ぎたる美学。大事なのは、残したい瞬間を“選ぶ”ことなんだと思う。
野菜を食べすぎる

健康のために野菜を多く食べるのは、誰もが口をそろえて言う正義だ。実際、僕も「野菜は摂った方がいい」と思っている人間の一人だ。
でも、健康志向が過ぎると、これまた落とし穴がある。
あるとき、キャベツ半玉をそのまま千切りにして食べるのがマイブームになった。シャキシャキして美味しいし、腹持ちもいいし、ダイエットにも良さそうだと思ったのだ。
ところが、数日続けた結果、お腹がパンパンに張って痛くなるという悲劇。繊維質を摂りすぎるのも考えものだと知った。
サウナに行きすぎる
僕にとってサウナは、心のメンテナンスみたいなものだ。仕事で煮詰まった日も、人間関係にぐったりした日も、サウナに入ると不思議とすべてが「ま、いっか」と思える。あの熱気と静寂に包まれる時間が、たまらなく好きだ。

ただし──やりすぎはやっぱり良くない。
以前、ととのいたさのあまり、周6サウナに通い、サウナ室と水風呂を5セットも繰り返したことがある。軽い脱水症状で頭がクラクラ。何事も限度を超えると身体は素直に悲鳴を上げるものだと、身をもって思い知らされた。週3くらいがちょうどいい。
服(靴)を買いすぎる

25歳になると、服の趣味も少し変わる。昔より質を求めるようになり、その分買いすぎる。
「一生モノだから!」と言い訳しながら、靴箱がぎゅうぎゅう。冷静に考えると、靴って一度に二足も履けないのに。本当にお気に入りのものを着る機会が減るということに気づいた方がいい。
服や靴が増えすぎると、管理できず、結局お金も無駄になる。
例外?
──とはいえ、僕は思う。
世の中すべてが「やりすぎはよくない」かというと、実はそうとも限らないんじゃないか。
例えば 旅行。
何度行っても、景色は変わるし、新しい発見がある。旅行のやりすぎで後悔したという話はあまり聞かない。むしろ豊かな思い出になる。お金はかかるが。
それから 本を読むこと。
本の世界はやりすぎるほどに人生を広げてくれる。もちろん生活が破綻するほど読んでしまうのは別として、僕は本を「やりすぎるくらい読む」のは素敵だと思う。

最後に、相手に感謝を伝えるというのはやりすぎてもいいのではないか。ありがとうと言われて嫌な気持ちになる人はいない。
そう考えると、 「何事もやりすぎはよくない」 には例外もあるのかもしれない。

まとめ

「何事もやりすぎはよくない」という言葉は、僕の25年の人生の中でも、強く心に残る格言だ。睡眠も、仕事も、恋愛も。どんなに良いものも、度を越えれば裏目に出る。だけど同時に、すべてを「ほどほど」で済ませるのも、なんだか味気ない気もする。例外もきっとある。旅行や本のように、やりすぎるほど夢中になれるものは、人生を彩る大事なスパイスだと思う。要は「何事もやりすぎはよくない」けれど、やりすぎたいほど好きなものがあるのも、また人生の醍醐味。大切なのは、自分にとって何が過剰で、何が必要かを知ることだ。僕自身もまだまだ模索中だが、今日もまた、親友と言葉を交わしながら、ほどほどとやりすぎの狭間で生きていこうと思う。
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