わかりやすい例
睡眠のやりすぎ

人間は基本、寝ることが大好きだ。
週末はアラームをかけず、気が済むまで寝る。それだけで「最高の休日!」なんて思うのだけど──実際、10時間以上眠ると、目覚めた瞬間から頭が重い。肩も凝る。全身がだるい。
不思議だ。 「睡眠は健康に良い」 と言われるのに、やりすぎると逆に不調を呼ぶ。やっぱり、 「何事もやりすぎはよくない」 というのは真理なんじゃないかと思う瞬間だ。
サクッとサウナに入って7時間寝る。これで十分なのです。

仕事のやりすぎ
「若いうちに働きまくれ」という人もいる。僕もつい最近まで、残業を美徳だと思っていた。
でも去年、睡眠時間を削って頑張りすぎた結果、精神をやられかけたことがある。

「働くこと」は人生の大事な軸だと思う。だけど、 仕事のやりすぎ は身も心も削りかねない。
「もっと頑張れ!」なんて自分を追い詰めがちな人にこそ、 「何事もやりすぎはよくない」 と伝えたい。
適度に仕事して、適度にサウナに入り、適度に遊ぶ。会社のためにがむしゃらに働いて何になる。

お金のもらいすぎ
社会に出て数年。僕が一番思うのは「お金をもらいすぎるのも、意外と厄介」ということ。

例えば、仕事の報酬が異様に高い案件。最初は「ラッキー!」と思うけれど、後から「じゃあ次も頼むね」と延々と高負荷の仕事が舞い込む。割に合わなくなり、精神をすり減らす人見たことがある。
欲深くなる気持ちはわかる。だけど 「何事もやりすぎはよくない」 のは、お金も例外じゃない。
贅沢はしなくても、最低限の娯楽と、サウナに入る1000円があればいいじゃないか。

写真の撮りすぎ

僕はカメラが趣味で、日々いろんなものを撮りまくっている。だけど、撮りすぎると後で整理が地獄だ。
旅行帰りに6,000枚の写真を前に、ふと思う。
「これ、果たして全部いるか?」
写真もまた、撮りすぎは過ぎたる美学。大事なのは、残したい瞬間を“選ぶ”ことなんだと思う。
気づいているか。写真を撮っているときはデバイスを見ているという事実に。
サウナの入りすぎ
僕にとってサウナは、心のメンテナンスみたいなものだ。仕事で煮詰まった日も、人間関係にぐったりした日も、サウナに入ると不思議とすべてが「ま、いっか」と思える。あの熱気と静寂に包まれる時間が、たまらなく好きだ。

ただし──やりすぎはやっぱり良くない。
以前、ととのいたさのあまり、周6サウナに通い、サウナ室と水風呂を5セットも繰り返したことがある。軽い脱水症状で頭がクラクラ。何事も限度を超えると身体は素直に悲鳴を上げるものだと、身をもって思い知らされた。週3くらいがちょうどいい。
サウナにも長く入りすぎるのも良くない、気持ちいいのは分かるが、倒れたら元も子もない。
適度な距離感で安全に楽しもう。
服(靴)購入のやりすぎ

25歳になると、服の趣味も少し変わる。昔より質を求めるようになり、その分買いすぎる。
「一生モノだから!」と言い訳しながら、靴箱がぎゅうぎゅう。冷静に考えると、靴って一度に二足も履けないのに。本当にお気に入りのものを着る機会が減るということに気づいた方がいい。
服や靴が増えすぎると、結局お金も機会も無駄になる。
やりすぎは良くないの例外?
──とはいえ、僕は思う。
世の中すべてが「やりすぎはよくない」かというと、実はそうとも限らないんじゃないか。
例えば 旅行。
何度行っても、景色は変わるし、新しい発見がある。旅行のやりすぎで後悔したという話はあまり聞かない。むしろ豊かな思い出になる。お金はかかるが。
それから 本を読むこと。
本の世界はやりすぎるほどに人生を広げてくれる。もちろん生活が破綻するほど読んでしまうのは別として、僕は本を「やりすぎるくらい読む」のは素敵だと思う。

最後に、相手に感謝を伝えるというのはやりすぎてもいいのではないか。ありがとうと言われて嫌な気持ちになる人はいない。
そう考えると、 「何事もやりすぎはよくない」 には例外もあるのかもしれない。

この記事で伝えたかったこと

「何事もやりすぎはよくない」という言葉は、僕の25年の人生の中でも、強く心に残る格言だ。睡眠も、仕事も、恋愛も。どんなに良いものも、度を越えれば裏目に出る。だけど同時に、すべてを「ほどほど」で済ませるのも、なんだか味気ない気もする。例外もきっとある。旅行や本のように、やりすぎるほど夢中になれるものは、人生を彩る大事なスパイスだと思う。要は「何事もやりすぎはよくない」けれど、やりすぎたいほど好きなものがあるのも、また人生の醍醐味。大切なのは、自分にとって何が過剰で、何が必要かを知ることだ。僕自身もまだまだ模索中だが、今日もまた、親友と言葉を交わしながら、ほどほどとやりすぎの狭間で生きていこうと思う。











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